「讃美歌が聞こえる学校」
歌は、目に見えにくいものですが、人間にとっては心の深い部分に無意識に影響を与えるものです。子どものころに歌った歌は、大人になってもほとんど覚えており、学校で習った曲だけでなく、子どものころ聴いたり歌ったりしたドラマ、アニメなどの主題歌や歌謡曲、CMソングは、今も曲が流れればつい歌ってしまうこともあるでしょう。
音楽は、人類歴史において、文化や思想、知識を広めるのに有効に用いられてきました。学校制度が本格的に始まった明治維新後の日本の教育においても唱歌が盛んに用いられました。特に、言語活動や言語による理解が十分でない幼少期は、歌を用いて聴覚によって行われる活動が、読み・書きなどの視覚による教育活動以上に効果があり、現在も幼児教育からはじまって、教育全般にわたり歌は大事な役割を果たしています。
明治、大正時代の唱歌は、西洋から入ってきた讃美歌を替え歌にしたものが多くあったと言われています。曲は讃美歌、歌詞は儒教の教えによる道徳教育が唱歌になったものがいくつかあります。近代国家を急いで築くために、国民への教育が重視されました。公教育も私立学校も、海外からの文化や様式をとりいれ、替え歌としての讃美歌が用いられたり、讃美歌をそのまま歌うキリスト教の学校があったりと、讃美歌も教育に影響していました。
三育のどの学校においても創立以来、讃美歌が盛んに歌われてきました。礼拝や宗教プログラムに限らず、朝の会や帰りの会にも讃美歌を歌い、お昼のお弁当の前にも讃美歌を歌っていた時もあります。チャペルや音楽教室だけでなく、毎日いろいろなところから讃美歌が聞こえてきたのが三育小学校です。
コロナ禍になり、それらは一変し、この2年間全く子どもたちの歌声が聞こえなくなってしまいました。様々な活動が制限されたり、中止したりするなか、学校から讃美歌が聞こえなくなったことは、寂しいだけでなく、歌えないということが子どもの情緒や発達においても様々な影響があったのではないかと言われています。自分自身も、歌えない、歌わない、ことによる心の変化を自覚しています。
歌は、人にとってリラックス効果もありエネルギーを高め、人に生きる活力を与えてくれると、多くの音楽家が自らの活動を通して伝えてきました。人の精神と肉体は一体ですので、歌うことは自己の心身のセラピーにもなっていくということです。
そして、讃美歌を歌うということは、音楽活動にとどまらず、目には見えない人の深い部分に無意識に影響をあたえるものです。(宗教的には霊的なものといいます)
讃美歌を歌うことは祈ることと同じです。讃美歌を歌うことは聖書の言葉を全身で感じ、伝えることと同じです。
5月の後半頃から、学校では礼拝で讃美歌を歌うようになりました。そして、先週の祈祷週では学年ごとの特別讃美歌があり、集会前、全児童の讃美の時間がありました。学校に三育の本来の姿が戻りつつあります。まだしばらくはマスクをしたままの讃美ですが、あちらこちらから聞こえてくる歌声が、聞く者に心地よさを与えます。また、歌う者は活気にあふれています。
「キリストの言葉が、あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして教え合い、諭し合い、詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。」(聖書協会共同訳 コロサイの信徒への手紙3章16節)
ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
校長 小原 義信