「一つの体、多くの部分」
「スポーツの秋」と言われる季節ですが、多くのプロや一流のスポーツ選手の活躍がテレビや新聞、ネットニュース等で報道されています。また、世界中、日本中どこでも、アマチュアスポーツ・市民スポーツが盛んにおこなわれており、皆さんがお住いの地域でも馴染みのスポーツが何かあるかもしれません。スポーツに参加して楽しんでいる人、観戦や応援をして楽しむ人、それぞれ楽しみ方は様々です。
スポーツの世界では、1980年代からパラリンピックが盛んにおこなわれるようになりました。障害者スポーツの起源の一つは、第二次世界大戦後、負傷した兵士たちのリハビリのためにイギリスの病院が主導で始めたのがきっかけと言われています。それが世界的なスポーツの大会へ広まり、1960年代にはオリンピック開催に合わせて大会が行われるようになりました。当時はリハビリの病院名を取ってストークマンデビル競技大会と呼ばれていました。その後、IPC (国際パラリンピック委員会)が組織され、近年はオリンピックと同等の注目となり盛り上がっています。
パラリンピック東京大会でも多くの日本人選手が活躍し、観る者に感動と喜びをもたらしたのは記憶に新しいのではないでしょうか。
Forget everything you thought you knew about strength.
Forget everything you thought you knew about humans.
(あなたが知っている「強さ」について、「人間」について、すべての考えを忘れなさい。)
これは、10年前に行われたパラリンピック・ロンドン大会のキャッチコピーです。パラリンピックのルーツともいえるイギリスの誇りと粋な感覚が感じられます。本当の強さとは何か、本当の人間としての姿とは何か、を考えさせられます。
パラリンピックのどの大会でも、どの種目でも、アスリートたちの活躍に感動しカッコよく見え、健常者との違いを感じさせない姿を見ることができます。その裏側で経済的・人的サポートがオリンピック選手と比べて低く、苦労も多いと聞きます。しかし、それを思わせないほど活き活きと自信に満ちた姿。そこに真の「強さ」を感じさせます。また、障害を持っておられることで、一見違って見える姿であっても、感動、喜び、悔しさなど、だれもが持つ喜怒哀楽の感情を表す姿に「人間」の美しさ、素晴らしさを感じます。
SDGs精神が広がる昨今、日常や身の回り、町の中を見渡せばいくつもインクルーシブやユニバーサルのデザインがあることに気付きます。それらを見るたびに、自分よりはるかに大きな「強さ」を持って生きている方々を思い浮かべます。
世界中の全ての「人間」に、神様から尊い命が与えられています。それぞれに強さ、弱さがあります。社会全体として、または地域、学校、教室、職場、家庭それぞれが大小にかかわらず「一つの体」として営まれています。一つの体は「多くの部分」(違いのある人々)でなりたっています。神様は、その一つ一つの部分である私たちを尊び、愛しておられるのです。私たち(部分同士)も互いに尊び合い喜び合いたいと思います。
「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」 聖書(コリント一 12章22,26節)
ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。
校長 小原義信