『最も長く遅いマラソン』
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。どのような年末年始をお過ごしになりましたでしょうか。
お正月の話題の一つに箱根駅伝が挙げられますが、私もお正月になると俄かファンの一人として毎年注目しています。今回は公道での応援規制がありませんでしたので、初めて往路の小田原中継地点50メートル手前付近で見物してきました。多くの歓声や並走する関係車両、白バイなどの走行音の中に、間もなく襷を次の走者に渡そうとラストスパートをかけた選手の地面を叩く足音、ハーッハーッという必死の息遣いが、観ている方にもしっかり伝わってきました。中継地点に目を向けると、襷を渡し終えて倒れこむ選手を周りで介抱したり抱えたりする姿も見えました。自然とその場所は感動と声援で盛り上がりました。
数年前のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公でもあった金栗四三は、日本のマラソン史のパイオニアです。日本のスポーツ史として、また、日本人初のオリンピック選手として、とても大きな存在です。また、今年も盛り上がった箱根駅伝の創始にも尽力し大きな影響を及ぼしました。彼のマラソン人生を少しご紹介します。
1912年にオリンピックのストックホルム大会(スウェーデン)で、19か国68人の選手の一人が金栗四三でした。40度もの気温の中行われたこのレースは過酷で、参加68人中、完走できたのは35人。途中で気を失って倒れ、翌日亡くなった選手もいました。金栗も途中で意識を失い倒れてしまいました。
近くの農家の人が倒れている金栗を介抱します。金栗が目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝でした。普通なら、競技を棄権したということになるのでしょうが、手違いで棄権の意思が大会本部に伝わらず、金栗は「競技中に失踪し行方不明」とされてしまいました。
それから55年後の1967年3月、金栗のもとに一通の招待状が届けられます。それは、「あなたは行方不明になっています。ストックホルム大会55周年の記念式典に来てマラソンをゴールしてほしい。」というものでした。76歳になっていた金栗は記念式典の中で、用意されていたゴールテープを切りました。スウェーデン・オリンピック委員会は「これをもってストックホルム・オリンピックの全競技日程を終了する」と宣言しました。
ここに世界でもっとも長く遅い公式マラソン記録が刻まれました。(54年8ヶ月6日5時間32分20秒3)
2023年がスタートしたばかりです。ひたすら自分の目の前の道(学んだり働いたり生活すること)を走り続けることや、与えられた持ち場で精一杯励むことは、人生というマラソンを走るうえでとても大切なことです。しかし、時にはうまく進めなかったり疲れてしまったりすることもあるでしょう。そこには応援する人、心優しい人、介抱してくれる人、そのような人々のおかげで再び走り始め、ゴールすることができます。長い時間をかけなければいけない時もあるでしょう。時々歩いたり、立ち止まったり、寄り道したり、休んだりしながら、それでもゴールを目指して進んでいきましょう。思いもよらない、豊かで喜ばしいゴールが待っているかもしれません。あるいは、「あなたは行方不明になっていませんか?ぜひ私のもとに来てゴールしてください。」という招待状が神さまから届くかもしれません。
皆様にとって新しい年がすばらしい出会いと喜びあふれる一年となりますようにお祈りいたします。
「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」フィリピの信徒への手紙3章13~14節
ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。
校長 小原義信