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校長先生からのメッセージ(5月)

2021/05/06

校長室

『自分が変わる 相手が変わる』

学校が始まり3週間が過ぎ、年度初めの新しい環境、新しい担任、新しい学習にも慣れてきて、それぞれの緊張感が解け、児童の本来の姿が見えてきました。新しい校長の存在にも慣れて、朝の玄関では元気に挨拶してくる児童がおり、その姿に私自身も励まされています。

学校がはじまって数日たったある日の下校後、突然学校に電話がかかってきました。

「先生、大変です。喧嘩がおきていて大騒ぎです。このままだと、周囲に迷惑をかけることになります。」

電話の向こうで二人の女子児童が代わるがわるうったえていました。スクールバスを降りた駅前で本校児童の兄弟喧嘩が起こったようです。それを心配しての連絡でした。

「何度も、『喧嘩やめて、迷惑だよ、仲良くしてよ』って言ってるんですけど、喧嘩をやめないんです。」

彼女たちの焦りと、何とかしたい、困った、という気持ちが伝わってきました。「互いに仲良くしましょう」「公共の場所でのマナー」など、普段からの教えが、この女子児童にしっかり身についているのだなと、まずは感心しました。

そこで、喧嘩中の兄の方に電話に出てもらうよう促しました。喧嘩はいったん休戦状態。彼に状況を尋ねると、彼の言い分はこうでした。

「弟が自分のいうことを聞かない。弟が持って帰るべきものを自分に持たせている。ルールでは、持ち物はちゃんとカバンに入れなければいけないのに、入らないからと言ってカバンから出しているので注意した。ところが自分に持たせようとしている。」

きっと涙が出ているではないかと思うような声で訴えていました。弟のカバンには自分にとって大切な物が入っていて、本を入れるとそれがつぶれてしまうので、カバンに入れたくなかった。後で知った弟の言い分です。

 私は、兄に対して、君の言っていること、やろうとしていることは正しい、でもそれを言いつづけやらせようとしてその通りになるかな?と尋ねました。彼には、それが難しい状況だということはわかっているようでした。

「どうしたら弟が泣き止んでそこから一緒に帰ることができるかな?」と私が尋ねると、しばらくの沈黙の後、

「自分が持って帰る。」きっと悔しさも残る中での絞り出した答えだったでしょう。

「えらい! 本が重くなったら、交代で持ったり、ゆっくり歩いたりしながら気をつけて帰ってね。」私はそう言って電話を切りました。弟を変えようとした兄は、自らを変えたのです。

 その後、何の連絡もありませんでしたので無事に帰宅したのではないかと信じています。

ルールを守らないことを決して推奨するつもりはありません。ただ、物事がうまく進まないとき、思い通りにならないとき、どのようにするかの教訓を、駅前での児童の出来事によって改めて教えられたような気がします。

以前、一緒に働いたことがある二人の元上司がおります。一人は「人は変わらない、自分が変わるしかない」、もう一人は「人は絶対に変わる」とそれぞれ両極端なことを言っていました。前者の言葉はよく言われていることです。後者の上司は常に人の中に入り、しつこいほど人と関わろうとし、相手を理解し行動していく、そんな上司でした。そのうちに、結局その相手も変わっていくのです。今でも私にとって両元上司は、尊敬する目指したい姿です。

自分を変える、見方を変えることは、実はとても難しいことではあります。しかし、それによって相手も自分も幸せになれるのなら何と素晴らしいでしょう。

聖書に出てくる使徒パウロの力強い言葉です。

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

コリントの信徒への手紙一9章 19、22、23節

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。

校長 小原義信

   

   

突然の訪問者

2021/04/28

TOPICS

 今朝、突然の訪問者がありました。というより、どこからか鳥の雛が児童玄関前に落ちていたのです。まだ息をして口ばしをパクパクしてえさを求めているような状態でした。
登校してきた児童も何とかしてあげたいと、雛のまわりに集まり餌になるようなものや水を持ってきていました
職員室に持ち込んで保護しておりましたが、このまま弱って万が一、息を引き取ってしまうようなことになれば雛も見守る児童にとっても残念なことです。
そこで、自然環境保全センターに連絡し、引き取っていただくことになりました。
うまく成長し、いつか空に飛び立つことを願っています。
  

新入生歓迎ピクニック

2021/04/26

TOPICS

気持ちの良いお天気の中、ズーラシアへピクニックに出かけました。学年別に記念写真を撮った後、1年生から6年生までの縦割りグループで、6年生が1年生のために一生懸命考えたコースをそれぞれまわりました。たくさん歩いてたくさんの動物を見て、おいしいお弁当をしっかり食べ、みんな楽しく過ごすことができました。

   

   

朝の自由時間

2021/04/22

TOPICS

登校してから授業が始まるまでの自由時間、6年生は急いで着替えて検温と消毒を済ませ、1年生の教室に行って読み聞かせやお絵描きなどをしながら一緒に過ごしています。最初のころは緊張気味だった1年生も2週間の間にすっかり慣れて6年生に甘えるほほえましい姿が見られました。

   

 

校長先生からのメッセージ(4月)

2021/04/19

校長室

「真の幸せを求めて」

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。保護者をはじめご家族の皆様方にも心よりお祝いし歓迎いたします。また、一つ上の学年に進級した在校生の皆さんも、新年度の学校に歓迎します。それぞれ新たな気持ちを持って新学期を迎えたことでしょう。今年度も児童一人ひとりが可能性に向かって力強くチャレンジし、大きく成長してほしいものです。また、先輩として活躍してくれるようにと期待しています。
さて、大人は子になぜ教育を授けるのでしょうか。学校で、子どもたちは何のために学んでいくのでしょうか。
一言でいえば幸せになるためではないでしょうか。ただ、人によって幸せの定義や種類がちがうのも確かです。「幸せ」をグーグルで検索すると、数億件ほど抽出されるそうです。いかに人は幸せを求めているかということです。
私たちは、この10年で一見幸せの状態とはほど遠い、いや幸せの真逆と言える経験をしてきました。東日本大震災を筆頭に様々な災害がありました。そして、今も収束が見通せない新型コロナウィルスの拡大です。
幸福学研究の第一人者で、慶応義塾大学大学院の前野隆司教授は、このコロナ禍でも長続きする幸せを見出すことができれば、それは、コロナ後も続くと述べています。「幸せのメカニズム 実践・幸福学入門/前野 隆司」参考
前野氏が推奨する4つ幸せ因子のうちの一つ「ありがとう!」因子があります。(つながりと感謝の因子)それは、人と一緒に楽しんだり愛情に満ちた関係を築いたり、人に喜ばれること、親切な行為をすることなどによって幸せを感じることができると述べています。人は社会的な生き物ですから、他人や社会とどういうつながりを持つかがその人の幸福感に大きな影響を与えるのは間違いありません。
(その他「やってみよう!」因子、「なんとかなる!」因子、「あなたらしく!」因子)
「しあわせ」は、「し」と「あわす」の複合でできていて、二つのものが交わったり関わり合ったりすることから生じる、喜びをあらわす言葉だと言われてます。「幸せな人生を送った」という時、完結したり成功したりということだけでなく、その途上で自分の人生に関わる人々の愛情や親しみに触れて感謝した時に、自然と幸せだったという思いにふけることでしょう。
この世には、いろいろな幸せがあります。私たちはどんな幸せを求めたいでしょうか。三育は一時の幸せでなく人生にわたって通ずる一生の幸せを求め学んでいきます。幸せは交わりや関わりによって得られます。そして、真の幸せはイエス・キリストとの関わりによって得るものだと信じています。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」
ヨハネによる福音書15章4節

新年度は、新しい体制で三育小学校が始まります。三育小学校がこの地で更に輝き続けるよう、保護者の皆様と一緒に学校をつくりあげていきたいと思います。皆様のご理解とご協力をどうぞ宜しくお願い致します。
コロナ禍が続く中にあっても、児童の幸せを願い、希望に満ちた一年となりますよう教職員一同、精一杯努めてまいります。
ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。

校長 小原 義信

横浜三育小学校
学校通信

運動会にむかって!

2021/04/16

TOPICS

運動会にむけての練習が始まっています。

1年生はリレーの組み分けのためのタイム測定をしていました。

3年生と4年生は和太鼓の練習。みんなかっこよく決まっていました。

5年生と6年生は鼓笛。今日は初めて外で練習をしていました。

みんなで力を合わせて楽しい気持ちで運動会を迎えられますように!

  

 

こんな6年生になりたい。

2021/04/13

TOPICS

横浜三育小学校の今年度の目標は、「イエス様のように」W.W.J.D "What Would Jesus Do?"です。

既にイエス様のような姿を目指す児童を見つけることができした。

6年生教室の廊下貼られた言葉の抜粋を紹介します。

私は、下級生にやさしい、イエス様にしたがえる6年生になりたいです。下級生にやさしくして「この学校に入学してよかったな。」と思ってもらえたら嬉しいと思ったからです。また、イエス様にすなおに従うことで神様に喜ばれ、周りの人に親切にしてあげられると思います。そして、これも下級生のお手本になることにつながると思います。I

1年生のとき、6年生にやさしくしてもらって、私もこんな6年生になりたいと思いました。新1年生が安心して学校生活を過ごせるように頑張りたいです。A

ぼくは、下級生に「リーダっぽい」「そんけする」などの言葉を言ってもらえるような6年生になりたいです。ぼくは、うるさかったり頼ってもらえるような性格や生き方をしていなかったり、責任を背負えるほど強くないです。だから、最初に言った通りそんけいされる6年生になりたいです。そのために、ぼくは下級生に小さいことでも大事なことをしたいです。A

ぼくは、元気な6年生になりたいです。なぜならみんなを笑顔にしたいからです。みんながぼくと遊んでくれるので、笑顔になれます。ぼくもみんなを笑顔にしたいです。そして、下級生が笑顔でいられるように一緒に遊びたいと思います。M

昨年から始まった新型コロナウィルスによって、たくさんの行事がなくなってしまいました。今の下級生もそうとう不安だと思います。そんなときに支えの言葉をかけてあげて、共によりそって歩んでいくのが、私たち6年生の役目だと思っています。たくさんの人に不安を安心にかえられるよう、努めていきたいと頑張ります。Y

 

 

入学式

2021/04/12

TOPICS

新緑が青空にまぶしく輝く良いお天気の中、入学式が行われました。6年生のお兄さんやお姉さんたちに出迎えられお花をつけてもららったり、1年生の教室では荷物の片付け方を教えてもらったりしていました。

入学式では校長先生のお話に元気よく答えたり、しっかりとした声でお礼を言うことができました。

写真は教職員紹介の様子です。

 

始業式

2021/04/07

TOPICS

今日から新しい年度が始まりました。

新しいクラス、新しい先生にドキドキしながらの登校だったことでしょう。毎日楽しく登校できるようお祈りしております。

写真は沖縄三育小学校より今年度から横浜三育小学校の校長となった小原義信先生の始業式でのお話し風景です。

今年度もよろしくお願いいたします。

校長先生からのメッセージ(3月)

「死の陰の谷を行くときも」

振り返りますと、昨年の3月から学校が休校になり、卒業式も在校生は参加できませんでした。しかし、今年度は、昨年から続いた新型コロナウイルスの感染が収まらない中ですが、卒業生、卒業生保護者、在校生そして教職員が集まって、第62回の卒業式を行うことができました。卒業生たちは希望に胸を膨らませて学び舎を巣立っていきました。卒業式の、私からの「卒業生への言葉」の一部を掲載します。

さて卒業、そして新しい出発に、わたくしから皆さんに伝えたいことをお話します。
みなさんは三育小学校で何を学びましたか。そして、その学びは何のためだったのでしょうか。卒業祈祷週でみなさんは、いろいろなことを証してくれました。神様への感謝、決心、後輩に伝えたいことなどを話してくれましたが、全員に共通していたことは、『神様に信頼して、これからも歩んでいきたい。』ということでした。立派な決心だと思います。これこそ、三育小学校が一番大切にしていることであり、学んで欲しかったことなのです。この決心があれば、わたくしは、皆さんが幸せな人生を送ることができると自信を持って言うことができます。
皆さんはパナソニックという会社を知っているでしょう。この会社を一代で築き上げたのは松下幸之助さんという方です。今でも「経営の神様」と言われています。しかし、不景気による業績の悪化、資金繰りの危機、取引先との意見の衝突、そして戦争・・・その人生は常に順風満帆だったわけではありませんでした。
松下さんの著書「道をひらく」の中に「道」という一節があります。次のような文章です。
「自分には自分に与えられた道がある。天から与えられた尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。自分だけしか歩めない。二度と歩めぬ、かけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけ、かきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまるときもあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためにはまず歩まねばならぬ。心を定め懸命に歩まねばならぬ。それが、たとえ遠いみちのように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。」
さて皆さんはこれからどのような道を歩んでいくのでしょうか。ひとりひとりに与えられた、他の人とは違う道があると松下さんは言っておられます。ひとりひとりが将来の夢を描き、しっかりとその道を歩んでいってほしいと思います。
聖書の中にイザヤという預言者が出てきます。紀元前6世紀に、イスラエルはバビロニアという強国に滅ぼされました。主だった人びとがバビロニアの首都バビロンに連れて行かれたのです。国は滅ぼされ、信仰の中心であったエルサレムの神殿も破壊されました。その希望を失くし、囚われの身で過ごさなければならなかったイスラエルの民の一人にイザヤがいました。そのイザヤに神様の言葉が臨みました。イザヤ書55章8節9節に次のような言葉があります。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。」

神様の命令は、「エルサレムに帰りなさい」ということでした。そのふるさとは荒れ果てて、戻っても食べることも飲むこともできないかもしれない。それでも、イザヤは神様の言葉に聞き従えば「良いものを食べることができ、その豊かさを楽しむことができる。」と言います。神様の思いは、私たちが思い描いているものとは異なる。神様の道は、私たちが歩もうとしている道とは異なると言っています。
みなさんはこれからさまざまな困難に遭い、挫折をし、そして失敗もすることでしょう。自分の思い通りに進めないときがあるかもしれません。しかし、神様の思いはわたしたちの思いを高く超えているのです。その歩みに神様のご計画があることを覚えていてください。ぜひこれから経験する様々なことを生かして、着実に夢への階段を登って下さい。そして、神様から与えられた才能を最大限に活かし、社会や人々に役立つ人間になってほしいと思います。

みなさんは卒業にあたって、詩編23編1節を選びました。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
続く4節には「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」と約束されています。
これからのひとりひとりの歩む道は違いますが、いつも羊飼いであるイエス様がそばにいてくださいます。イエス様がともにいて下さることを信じて、希望をもって自分だけの道を歩んでほしいと思います。

<学校通信 2020年度 第14号>