「 愛 」
始業式・入学式から3週間が過ぎようとしています。緊張していた一年生も、今では休み時間に運動場で、元気に上級生たちに交じって遊びまわっています。また、運動会の練習が毎日行われ、トラックを走ったり、鼓笛や和太鼓をはじめ、いろいろな競技や演技の練習に励んでいます。上級生たちが、本当にやさしく、温かく一年生をサポートしている様子を見ると嬉しくなります。
私たちの三育小学校では、聖書の教えを土台として、様々な教育活動を行っています。今年度も学校目標を「イエス様のように」として、さらにステップアップを目指しています。
聖書の中でイエス様は、「愛」をその場面に合わせてさまざまな形で表現されました。その「愛」は、三育の目指す真の教育の基礎となる大切なものなのです。
中世の日本にキリスト教を伝えたポルトガルの宣教師は、聖書にある「神の愛」を「ご大切」と訳して伝えたそうです。
イエス様の示された愛は、私たちを「かけがえのない大切な存在」として扱い、思いやりの心を大切にし、惜しみなく与え、人の心を満たす愛なのです。足りないところばかりで、理想とする自分とは全く違う、そんなわたしたちに、イエス様は「そんなあなたがとても大切なんだ!」と声をかけ、愛してくださっているのです。
「富は、天に積みなさい。」(マタイ6章20節)「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」(マタイ19章21節)
富は貯めるものですが、聖書では「貯める=あげる」・・・だというのです。周りの人に分け与えるのです。周りの人に親切にする、自分の得意なことや身につけた力や知識を駆使して、周りの人を愛するのです。
愛することは、他の人をそのまま受け入れてあげること、優しくしてあげること、その人がしてほしいと思っていることをしてあげることなのです。これらは、子どもから大人まで、それぞれの分に応じて、簡単にすることができるのです。
自分の身の回りのことや自分の物ばかりに気を奪われず、イエス様を見上げて、イエス様のように、人のために喜んでしてあげることのできる一人ひとりになっていきたいものです。
聖書に、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。」とあります。
三育教育は、このような揺るぎない聖書の価値観を実践していくことによって生まれる、優しさ、強さ、賢さを将来への土台として、神様と人へ奉仕をできる「人」を育くむことを目指しています。
校長 野口秀昭